New 【 昭和村貝野瀬・田岸の宝篋印塔 】をUP(9月11日)

【上州まったり紀行】

群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館・博物館・テーマパークなど、自分で行って見てきたところを紹介しているブログ。名付けて「上州まったり紀行!」。もともとは「上毛かるた」巡り(上毛かるた紀行)から始まった「紀行もの」。


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田岸の宝篋印塔は宝永4年(1707年)の造立で、高さは1.7m。旧糸之瀬村内に5基あったうちの最古のものだが、原型を留めているのは本基のみである。他の3基は塔身の上下がチグハグ(違う)、もう1基は銅製であったため先の大戦時に供出されている。

川龍寺は天正18年(1590年)沼田成孝院の意岩建春和尚が自身の隠居寺として泉龍庵を建てたのが始まり。その後、寛永18年(1641年)成孝院5世・不岸建鎖和尚が開山となり赤城山泉龍寺とした。元禄11年(1698年)火災により焼失。再建に際し現在地に移り、泉を川に変え川龍寺としている。

貝野瀬武尊神社の由緒は不詳。上野国神名帳に「利根廿二坐 従一位保宝高明神」とあるのは当社とされる。また、慶長19年(1614年)に社殿を再建した記録や承応3年(1654年)の神領免許(年貢免除の土地)が残っている。明治11年(1878年)に諏訪神社、稲荷神社、阿津摩神社、八幡神社、十二神社、厳島神社などを合祀、同42年(1909年)には神明宮、八坂神社を合祀ししている。

威光寺は元徳2年(1330年)新田義貞の次男・義興の開基、吽海法印の開山で、正永山医光寺として開創。応永年間(1394~1428年)に横瀬貞氏が義興の冥福を祈るために伽藍を修復、義興の法名「威光寺殿従四位下前武衛傑伝正英大居士」から正英山威光寺と改称している。威光寺には新田義興と生母・臺姫(新田義貞側室)の墓がある。

由良飯玉神社の由緒は不詳。明治41年(1908年)に稲荷神社、八坂神社、宗像神社などを合祀している。鳥居は計4基あり、一の鳥居は明治38年(1905年)の建立。2基目(二の鳥居と言うべきか)は元禄9年(1696年)、3基目は天保8年(1838年)の建立。「敬神虔道」と書かれた碑があった。揮毫は近衛文麿なので昭和初期(1940年ころ)の建碑かな。「神を謹んで深く敬え」というような意味だろう。

脇屋義助の館跡といわれる地には「脇屋義助公居館跡」の碑が建っている。昭和13年(1938年)の建碑。脇屋義助は新田義貞の弟で、義貞の挙兵以降副将として奮戦している。義貞討死後は後村上天皇(第97代にして南朝2代)の勅命を受け四国伊予(愛媛県)に渡ったが、病により興国3年(北朝は康永元年、1342年)36歳で死去している。

正法寺は山城国醍醐寺開山の聖宝僧正が東国遊化の際、延喜年間(901~23年)に創建。創建時は萬明山聖宝寺と称していた。元暦年間(1184~85年)新田義重が堂宇を修理し、元弘年間(1331~34年)に新田義貞の弟・脇屋義助が寺領と大般若経600巻を寄進している。興国3年(1342年)義助が伊予国府にて病没(享年36)すると、寺僧が「正法寺殿傑山宗英大居士」という法号とともに遺髪を持参、以来脇屋山正法寺と改称している。なお、法号と遺髪を持参したのは児島高徳との伝承もある。

脇屋赤城神社は鎌倉時代に新田義重が創建したと伝えられる。新田氏、脇屋氏から篤く崇敬されたという。社殿の周囲は芝が敷き詰められ、しかも綺麗に刈られている。ここは赤城神社パークゴルフ場でもある。太田市がパークゴルフ場を整備し、「赤城神社パークゴルフ愛好会」のみなさんが芝刈りなどの整備を月1回行っている。

藤阿久稲荷神社由緒は不詳。明治期に八幡宮を合祀している。昭和51年(1976年)刊の宝泉村誌には「境内の老杉を見ても千年近いものと思われ」と記載され相当の古社と思わせるが、現在は市街地化が進んでおりその面影は感じない。本殿は新田俊純の寄進と伝えられている。俊純は江戸末から明治にかけての岩松家当主。明治維新後、岩松氏が新田氏の嫡流と認められたため、新田に改姓(復姓)している。

金龍寺は応永24年(1417年)横瀬貞氏が新田義貞の追善供養のため創建したとされる。後に横瀬氏(由良氏)は下剋上により岩松氏を退け、実質的な金山城主となっている。そのため金龍寺も横瀬氏の菩提寺しとして興隆している。天正18年(1590年)由良氏は常陸国牛久へ転封となり、金龍寺も牛久へ移転している。現在の金龍寺は慶長年間(1596~1615年)に当地を領した榊原氏によって再興されている。


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