群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館・博物館・テーマパークなど、自分で行って見てきたところを紹介しているブログ。名付けて「上州まったり紀行!」。もともとは「上毛かるた」巡り(上毛かるた紀行)から始まった「紀行もの」。
カテゴリーの基本は群馬県の市町村別だけど、テーマ別(有名人のお墓や遺跡・古墳とか)も作ってあるので、そちらからもどうぞ(神社仏閣はいっぱいありすぎて、まとめてない)。
現在、群馬県内の約2,300ヶ所の紹介記事をUPしてます。みなさんのご近所の何かが載っているかも?
「上州まったり紀行」の最新記事(10件)です。概要と記事中の写真を載せています。
太奈荷神社は元は飯玉神社で、大正4年(1915年)に稲荷神社(同末社厳島神社)・前(大正2年)に田中八幡宮を田中神社としていたからだと思われる。元の飯玉神社の勧請年などは不詳だが、元文5年(1740年)銘の扁額が残されている。
円福寺は新田義貞討死後、その家臣・田中氏が当地に小庵を設け義貞の菩提を弔ったのが始まりとされる。その後、天文年間(1532~55年)に丹波国の芦田宗義が田中村に移り住み、その子・海翁が円福と号し円福寺とした。元和年間(1615~24年)には田中村の住民・長谷川孫左衛門の5男が順永と改名し、仏道修行の後に堂宇を修復している。円福寺では海翁(円福)を開山、順永を中興開山としている。
田中神社は元は八幡宮で、大正2年(1913年)に村内の日枝神社とその末社(秋葉社・稲荷社など5社)を合祀し田中神社と改称している。田中八幡宮の創建年は不詳だが、南北朝期に田中時明が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したと伝わる。田中八幡宮は、岩松・大島・新井・大舘・強戸・寺井・赤堀の各村に鎮座する八幡宮とともに、新田荘の「八所八幡」と称された。
長慶寺の由緒は不詳だが、延応元年(1239年)僧・慶弁が当地に小庵を結んだのが始まりとされる。当地は新田義重の庶長子である里見義俊の5男・田中義清(里見系田中氏の祖)の館跡とされる。元は放光寺と称したが、第98代にして南朝第3代である長慶天皇の御陵を護る祭主となったことから、寺号を長慶寺に改称したと伝わる。境内には長慶天皇御陵と伝わる宝篋印塔がある。
光徳寺は文明2年(1470年)依田右衛門尉光玄が、父・備前守光徳の菩提を弔うため開山に鷹林伊隼を招き、信濃国佐久郡芦田村に創建。その後、天正18年(1590年)依田康勝(光玄6世)が佐久佐久から藤岡に転封となったのに伴い、翌年に光徳寺も現在地に移されている。注)光徳寺は平成24年(2012年)に訪問し記事を書いているが、その時は本堂の建て替え中(解体されていて更地だった)であったため今回再訪、記事を差し替えた。
石造大日如来坐像は、見た目で総高約90cm・幅約45cm・厚さ約40cmといったところ。材質は牛伏砂岩のようで、かなり風化している。両手とも手首から先が欠損しており、顔容もほぼなくなっている。露座の時代が相当あったと考えられる。現在も地域の方々が12月第1日曜日にお祭りを行っている。もともとは11月28日だったと思われる(28日が大日如来の縁日)。
藤岡市総合学習センターの北側駐車場入口付近に堀越二郎の胸像がある。令和6年(2024年)4月、藤岡ロータリークラブの創立60周年を記念し建像。藤岡市に寄贈されている。堀越は藤岡市の出身で、東京帝大から三菱内燃機製造(現、三菱重工業)に入社。七試艦上戦闘機・九試単座戦闘機(後の九六式艦上戦闘機)、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)・雷電・烈風など、後世に語り伝えられる名機の設計を手掛けている。
木曽義仲四天王のひとりである楯六郎親忠の供養塔が渋川市北橘町にある。親忠は寿永3年(1184年)の宇治川の戦(木曽義仲軍と源範頼・義経軍の間で行われた合戦)で、根井行親らとともに宇治を守備していたが討死したとされる。戦後、今井兼平の次男・兼之や根井行親の妻などが、義仲3男・義基を匿い北橘村箱田に落ち延びたとされる。この供養塔は明治33年(1900年)に末裔の方が建立したもの。
冠稲荷神社の2回目。境内社の聖天宮・実咲社・八坂社・諏訪社・厳島社・菅原社・いなり白狐社・猿田毘古社や、縁結びの桜・冠稲荷の木瓜(子授かり・子育て)などを紹介。
冠稲荷神社は天治2年(1125年)源義国の創建と伝わる。源義国は有名な源義家(八幡太郎)の3男で、新田氏の祖・義重の父。承安4年(1174年)には源義経が奥州下向の途中、冠の中に勧請してきた京都伏見大社の分霊を奉斎したという。また、元弘3年(1333年)には新田義貞が鎌倉攻めのおり、兜の中に神霊の来臨を請い戦勝を祈願したという。この故事にちなみ、冠稲荷大明神と呼ばれるようになった。
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